私は生まれたときは寛子でした。
いつの間にかひーちゃんと呼ばれるようになり、
今では自分で自分のことを「ひぃ」と呼ぶこともしばしば。
でも、これはとても気に入っていることです。
「私」の存在がここにあるんだなって思えるから。
しかし、神様はやっぱり意地悪だと思うのです。
専門学校へ入って約1年。
最初は倒れてしまうこの病気のことを説明するのが大変でした。
みんなには元気に見える私を保つことが精一杯で、
そして疲れて手首を切りました。
何度も切りました。
大量の睡眠薬も飲みました。
まずいと思って自分で救急車を呼び、東邦医大に運ばれ胃洗浄を受けました。
警察の方もきていました。
きちんと元気になってから学校にきなよ。
何回そう言われたことでしょうか。
でも、15の頃から続けてきた治療なのに、今すぐにパッとよくなるはずがありません。
そんな方法があるなら誰か教えてよって思いました。
私なりに、少しずつ病気についての説明をしてきて、そしてだいぶ分かってくれてきたんだと思っていました。
でも、それは間違いだったのでしょうか。
ある友達の言葉で私はそう考えたのです。
「あなた、どれだけ人に迷惑かけていると思っているの?」
「こんなに迷惑かけられて嫌いにならない人なんていない」
「自分を特別視しているから甘えていて病気が治らないんじゃないの?」
「学校にこないでもらうほうが助かる」
そんな言葉を仲が良いと思っていた友達にかけられたのです。
私はショックを受け、大泣きしました。
努力は芽を出すことなく、神様は人にたえられるだけの試練しか与えないという言葉は嘘で、なんでこんな気持ちにならなければいけないんだろう、と。
私がかけてきた迷惑は確かに迷惑です、いつ倒れるか分からないのに授業をやりたがる。
すぐに倒れる。
そのたびに、友達は教務に走っていき人を呼び、場合によっては救急車を呼びます。
私が東邦の救急外来に朝方行ったときのことでした。
親を呼んだけれど、車で3時間かかるので誰か知り合いを呼んだほうが安心だよ、そう言った看護士さん。
私には東京で頼れる大人の知り合いがいなく、友達に電話をかけるしかありませんでした。
しかし、知り合いはたくさんいても誰もきてくれることなく、看護士さんがずっとついていてくれました。
その電話は8時頃のことですが、それがとても迷惑だったとのことでした。
それからこれは私の悪いところ、治療しているところなのですが、夜になるとパニック状態になることが多く、不安になり友達に電話をかけまくります。
それも迷惑なことでした。でも私は考えます。
もし自分と友達が逆の立場だったら??私は電話に対応するでしょう。
病院にも行くでしょう。
だって、自分だそういう立場になったらやっぱり人に頼りたいと思うから。
誰だってどこかでそう思っているのではないかと私は思います。
強がっていても、自分のことでいっぱいいっぱいだといっても、誰かを必要とするときは誰にだってあるんです。
それを分からない人もまだまだいる。
私はみんなと同じようにしたいけれど、それはまだまだ無理なことだと我慢しています。
いつどこで倒れるか分かりません。
発作もおきます。
バスにも乗れません、薬も毎日飲まなければいけません。
そんな私がどうしてみんなと同じことができるの?と疑問に思います。
みんなにとって、その「疑問」が疑問なのです。
「普通の私たちにはあんたの気持ちなんてわからない」そういわれても仕方ないと思うのですが、涙が出るのも事実です。
私だって、二十歳の女の子なんだから。
それから大人なのに、子供のようにつっかかってくる人もいる。
本気でそんなことをする人がいるんです。
せっかく成長したのに悲しくないでしょうか。
人に嫌なことを言ったら謝る。
考える。
間違ったことをしたら反省する。基本ではないでしょうか。
私たちにはこれからの未来が待っています。
次の世代に渡す未来もあります。
心豊かで、綺麗な未来を目指すために、まず自分たちの心の中を見直すことが大切なのではないか、そう私は思います。
心というものはそれほど大事なもので、
すぐに崩れるし、治るのも時間がかかったり早かったり。
心を大切にできる社会を作っていくことが私たちにとって大切なことだと思っています。
これが私ひぃの想いです。